第2話 変人 ― The Strange Characters
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「!」 の父親が、今にも走り出したそうに体を揺らしながら、その場に立っていた。 「驚いたな。まさか外国からのお客さんだったなんて、想像もしてなかったよ」 フレッドがくすくすと笑いながら言った。 「ずっと前から約束していたことなのよ」 モリーおばさんが言った。 「さんと計画して、を驚かせるために秘密にしておくことにしたの。、びっくりしたかしら?」 は何も答えなかった。開いた口が塞がらず、呆然と正面を見つめていた。 「ママ、ちょっと効きすぎだったみたいだぜ」 ジョージが代わりに答えた。 荷物を降ろし終えたアーサーおじさんが、の両親と横一列に並んでこちらに向かって歩いてきた。まずパーシーやフレッドとジョージが順番に夫妻と挨拶の抱擁を交わした。ロンとジニーは最初こそ驚いていたものの、すぐに笑顔になって、夫妻と抱き合った。母親はにも抱きついたが、放心したままだったは反応するのが遅れた。ようやく我に返りかけたところで、の目の前に更に衝撃的な出来事が起こった。 「会いたかったわ、モリーさん!」 片言の英語でそう言うと、の母親はモリーおばさんに跳ねるように抱きついた。 「私もよ、本当に久しぶり!」 モリーおばさんが声を弾ませた。まるで、気心知れた友人同士の会話そのものだ。の母親は、今まで英語を全く理解できなかったはずなのに。 「、元気だったかい? 最後に会った時よりもずいぶん背が伸びたじゃないか――まぁ、こちらの息子さんたちの成長ぶりには負けるかな!」 父親がに抱きつきたそうに腕を広げながら近寄ったので、は本能的に飛び退いた。しかし、父親は全く気にしていない様子で高らかに笑い声を上げた。 「照れ屋なところは相変わらずのようだね。そんなんじゃ大人のいい女にはなれないぞ!」 十人が一度に家の中に入ったため、キッチンの中が窮屈になった。その上両親の大きな旅行用トランクが空間を圧迫していた。大きさを考えると、少なくとも一週間は滞在するつもりでいるようだ。 「パーシー、フレッド、荷物を部屋まで運びなさい」 ぞろぞろと家族が居間に移動している間、アーサーおじさんが二人に指示した。そして、夫妻の方を振り向いて、にっこりと笑った。 「ようこそ我が家へ! 狭い家ですが、ゆっくりくつろいでいってください」 「いえ、本当に素晴らしいです」 キッチンから居間をぐるりと見渡しながら、の父親は力をこめて言った。その表情は、まるで生まれて初めて遊園地に行った子供のようだ。 「昔から、こういう家に住むのが夢だったんですよ」 「それはよかった」 アーサーおじさんが満足げにうなずいた。 「時間もちょうどいいし、ティータイムにしましょうか。今、準備をしてきますね」 そう言うなり、モリーおばさんは再びキッチンへと戻った。 「いやあ、ありがたい。朝から十二時間も飛行機に乗っていたものだから、すっかりくたびれてしまいまして」 の父親が、椅子に深くもたれかかりながら言った。 「飛行機か……私も一度でいいから乗ってみたいものだ。空を飛びながら食事ができるだなんて、まるで夢のような体験でしょうね」 アーサーおじさんが目を輝かせた。 「慣れたらそんなに楽しいものでもないですよ。時間のほとんどは寝ていることが多いし……むしろ僕は空飛ぶ箒の方がいい。風を感じながら飛ぶことができたら、実に気持ちよさそうだ」 「お父さん、イギリスに何しに来たの?」 が会話に割って入って無理やり中断させると、父親は肩をすくめた。 「何って、観光だよ」 それ以外に何があるのかという口ぶりだ。 「観光したいならロンドンのホテルにでも行けばいいじゃない。ここじゃなければいけないの?」 が鋭く聞いた。 「ロンドンはもう見飽きたよ! それに、お前にこれも渡したかったしね」 父親はそう言って、の手元にがま口財布をぽんと置いた。中を確かめると、小さく折りたたまれた二十ポンド紙幣が数十枚入っていた。 「新しい学用品を買うために必要だと思ってね。これだけあれば足りるだろう?」 「それじゃあ、これを渡すためだけにここに来たってわけ?」 へらっと笑う間抜けな父親を前にして、は微かな苛立ちを感じた。 「もちろん、それだけじゃないさ! 次に旅行するなら、イギリスののどかな田舎に行こうって決めていたんだ。それから、にも会いたかったし」 「嘘ばっかり」 がぼそりとつぶやいた。 「何か言ったかい?」 父親がきょとんとした顔で聞き返したのとほぼ同時に、紅茶を十杯と、スコーンでいっぱいのバスケットをトレーに載せて、モリーおばさんが戻ってきた。みんなが次々と手を伸ばしてティーカップを受け取っているうちに、さっきまでの話題はすっかり忘れ去られてしまったようだ。ウィーズリー兄弟との父親が親しげに話していても、はそれに加わらず、ただ黙って目の前のティーカップを見つめていた。暖かい紅茶と焼きたてのスコーンはとてもおいしかったが、それでもの苛々した気持ちは収まらないままでいた。 和やかなティータイムのあと、アーサーおじさんが突如、夫妻に魔法の箒を見せたいと言い出した。落ちても怪我しない程度なら空を飛んでも大丈夫だと言い、みんなを庭に連れだした。フレッドとジョージの背中につかまって、大はしゃぎでクリーンスイープに跨る両親の姿を、は庭には出ずに居間の中からぼんやりと眺めていた。 「どうしたの? 両親が会いに来たのにちっとも嬉しそうじゃないのね」 庭から居間に戻ってきたジニーがに話しかけた。 「私に会いに来たわけじゃないもの」 は無表情で答えた。 「どういう意味?」 ジニーが首をかしげた。 「ここに来たのは、『隠れ穴』に泊まりたかったからなのよ。私に会うためっていうのは口実に過ぎないわ」 「考えが飛躍しすぎてるんじゃない? のお父さんは、本当にあなたに会えて嬉しそうに見えたけど」 ジニーは苦笑いを浮かべた。は何も答えなかった。自分以外の人間に話しても、この考えはくだらないと思われるのはわかりきっていた。それでも、は自分の考えが正しいと信じて疑わなかった。 その日の『隠れ穴』の夜は、いつもより一層賑やかな夜だった。の母親がモリーおばさんと協力して作った晩御飯は、イギリスの家庭料理のはずなのに、まるで小さい頃からずっと食べてきたかのような懐かしい味がした。自分が話しかけられることのないよう、はフレッドとジョージを父親との間に挟むようにして座っていたが、当の本人は父親アーサーとの会話に花を咲かせていて全く気がつかないようだった。母親はずっとモリーおばさんに向かってたどたどしい英語やジェスチャーを使って話しかけていた。去年の母親は、通訳を父親や頼りに行動するばかりで、自分から誰かに話しかけるなんてことは全くせず大人しくしていた。それが今では、不慣れながらも自分から会話に参加するようになっていたことに、はただただ驚いていた。恐らく父親に教わったことには違いないが、母親が英語に興味を持つことがあまりにも意外だったのだ。 晩御飯が終わると、すっかりご機嫌になったアーサーおじさんは自分の行きつけのパブを紹介すると言って、の父親を連れ出して行ってしまった。子供たちがそれぞれ自分の部屋に戻ろうとしたとき、モリーおばさんがに声をかけた。 「さんが台所を片づけてくれるみたいだから、あなたも手伝ってちょうだい。私は他にやることがあるから、代わりにお母さんに教えてあげて」 モリーおばさんは、が母親と二人きりで話せるようにしてくれたのだろう。はにっこり笑って了承した。父親のことはどうあれ、母親に一年ぶりに会えたことは素直に嬉しかった。 「晩御飯おいしかったよ」 食器洗いをしている母親の背中に、が声をかけた。日本語を話したのは久しぶりだったので、ずいぶんとぎこちない話し方に感じた。 「ありがとう。モリーさんってすごく料理が上手なのね。色々と教えてもらったわ」 振り返ると、母親は嬉しそうに目を細めた。 「お母さんって、いつの間におばさんと仲良くなったの?」 が聞くと、母親が答えた。 「手紙を何回かやりとりしているうちにね。ほら、変な男を旦那にしちゃったところとか、色々と似たもの同士だから。そういう苦労を打ち明けているうちに自然と親しくなれたの。もちろん、お父さんに自分の悪口を書いている手紙を見せるわけにもいかないから、一人で文章の書き方を勉強したわ。そしたら、英語がだんだん楽しくなってきちゃって……」 「それであんなに喋れるようになったってこと?」 は母親が洗い終わった食器を手にとって、布巾で丁寧に水滴を拭き取り始めた。 「もちろん英会話はお父さんに教えてもらったわよ。でも、去年のを見ていて、あの人に教わるのが楽しそうとは思えなかったから、なるべく自分でやるようにしているの。だから、まだあんまりうまくないでしょう?」 コップを手に取りながら、母親は恥ずかしそうに言った。 「とんでもない、一人で勉強してるってだけでもすごいよ! それに、お母さんは充分上手だよ」 は急いでそう言ったが、母親は首を横に振った。 「優しいのね。けど、には負けるわよ。一年前に聴いた時よりも、ずっと発音が上達したわ。お母さんの英語能力じゃ、あなたの発音とジニーちゃんの発音の違いの区別がつかないくらいよ。お父さんは厳しいけど、先生としては優秀なのね」 「それは……一年間ずっとネイティブの人に囲まれてきたからだよ。お父さんにも教えてもらったけど、それだけじゃないよ」 はうつむいた。あまり父親を話題にしたくなかった。 「そうね。何よりもあなたが頑張ってきたからよ」 母親はふんわりと微笑んで、うつむいたの頭を、小さい子を褒めるときにするように優しくなでた。そして、再びゆっくりと口を開いた。 「まだ、お父さんに怒ってるのね」 ははっとして顔を上げた。 「気がついてたの?」 「あなたが黙ってむすくれている時は、いつも大体お父さんに不満がある時だからね」 再び食器洗いに戻り、母親はくすくすと笑った。 「何が気に入らないのか知らないけど、言いたいことははっきり本人に言った方がいいわ。じゃないと、いつまでたってもあなたの気持ちは気づかれないままよ」 「言ったって気づかないよ」 が顔をしかめた。 「いつもそう。私の言葉なんて聞かずに勝手に話を進めるの。私が映画を観たいって行ったら、子供向けのアニメ映画じゃなくて、自分が好きなハリウッドのファンタジー映画に連れて行く人なの。私の気持ちなんてどうだっていいんだよ。だからあの人は、自分がイギリス旅行に行く理由を作るために娘に留学なんてさせたんだ」 「あなた、そんなこと考えてたの?」 母親は驚きのあまりコップを落とした。ステンレスのコップは、同じくステンレスの流し台にぶつかり、がちゃんと大きな音を立てて転がった。 「実際そうでしょ。私と話してる時より、アーサーおじさんと話している時の方がずっと楽しそうだもの」 言葉にすることで、むなしさが更に強まったような気がした。しばしの間沈黙が流れ、食器が触れ合うかちゃかちゃという音だけが台所に響いていたが、やがて母親が小さく溜息をつきながら、口を開いた。 「そうねぇ……確かにあの人は能天気だから、あなたがそう感じるのも無理ないわ。だけど、ああ見えてのことを誰よりも心配しているのよ。『漏れ鍋』であなたたちと別れた直後のあの人の顔がどんな風だったか、想像できる? ムンクの『叫び』みたいな顔をよ」 「さすがにそれは、冗談だよね? そんな顔するような人が、どうして私を留学させたの?」 はぷっと吹き出したが、母親は大真面目な顔をしていた。 「心配だからこそよ」 母親の言葉の意味が、にはさっぱり理解できなかった。どうにもちぐはぐなことを言っているようにしか思えない。 「それって、矛盾してるよ」 「矛盾してるかどうかは、きっと大人になればわかるわ」 母親は明るく言った。 「お母さんは、私のこと心配してた?」 はさりげなくを装って聞いてみた。 「そうねぇ……最初のころはちょっとだけしてたけど、きっとなんとかなると思ってたわ。あなたはお父さんに似てるから」 「似てる? あの自分勝手で頑固でうっとうしい人に、私が?」 信じられない言葉に、は思わず大声で聞き返した。 「あなたも相当頑固でうっとうしいわよ」 「絶対に違うよ!」 きっぱりと言いのける母親にはわんわん喚くように反論したが、母親はそれを軽く聞き流して、のおでこを小突いた。 「ほらね、こういうところがそっくり」 そう言った母親の顔は、不思議と嬉しそうに見えた。 父親が自分の心配をしている――そんなこと、考えたこともなかった。少なくとも、の前でそんな姿を見せたことはほとんどない。覚えている限りでは、一年前、ホームステイすることを決断したあの日だけだ。母親からの言葉とはいえそう簡単に信じることはできず、二日経った今朝もは父親から距離を置いて座っていた。なるべく気にとめないようにつとめていたが、それでもどうしても父親の様子が気になって仕方がなかった。 「パパ、今日エロールを借りてもいい?」 ロンの言葉で、は我に返った。 「ああ、別に構わないよ。今日は使う予定がないからね――それで、何に使うんだい?」 アーサーおじさんは気さくに答えた。 「ハリーに手紙を送るんだ。うちにいつ泊まりに来るかも聞きたいし」 「ああ、そうだな。予定を決めるなら早い方がいい。こちらはいつ泊まりに来ても構わないと伝えておきなさい」 父親のことを気にするあまり、フォークをソーセージに何度も突き刺してしまっていたことには今まで気がつかなかった。正面を向くと、そんな自分を見てにやにやしているフレッドやジョージとも目が合った。恥ずかしさを隠すように二人を軽く睨みつけると、はソーセージを手早く口の中に放りこんだ。 「ハリーとは、ひょっとして話に聞いたあの勇敢な少年かい? 去年学校で大活躍したという――」 の父親がロンに聞いた。 「そうです。夏休みに会うって約束をしたんです」 ロンが答えた。 「時期がうまく合えば、さんがいるうちに一緒に泊まることになると思う」 「それはいい! 僕も彼に会ってみたいよ。どんな男の子なのか楽しみだ」 父親は目を輝かせて、牛乳を一気に飲み干した。 「もハリーに何か書くだろ? あとで一緒に出そうよ」 ロンがの方を向いて言った。 昼食のあと、ハリーへの手紙を書くために、はジニーの机を借りることにした。机をに貸している間、ジニーはベッドに寝転がって雑誌を読んでいた。いつものように、「ハリー・ポッター」の記事が載った雑誌だ。手紙なんて滅多に書かないが、いざ始めてみると案外楽しくなるもので、書き進めていくうちに、ハーマイオニー宛の手紙も書きたくなり、あっという間に書き終えてしまっていた。 「友達に手紙を書くのなんて、考えてみると本当に久しぶり。急な連絡をするには手紙じゃ遅すぎるから、あんまり書いたことがなかったわ」 手紙を封筒へと丁寧に折りたたみながら、が言った。 「確か、マグルは『話電』を使うんでしょ? パパから聞いたことがあるわ。あれって手紙よりも早く届くの?」 ジニーが得意げに言った。 「『電話』よ。届けるっていうのはちょっと違うかな。遠くにいる人と『会話』をする機械だから」 が訂正した。 「魔法も使わずに、遠くにいる人と会話できるの? なんだか楽しそう! 私も使ってみたいわ」 「うん、私も使いたい。ハーマイオニーもハリーもマグルの家に住んでるんだから、本来なら電話を使った方が早いんだけど……ここには電話がないからね」 それからは二つの手紙を持ってロンの部屋を訪ねたが、中にいるのは机に向かって書き物に没頭しているパーシーだけで、ロンの姿はなかった。一階に降りても、居間から楽しそうな母親二人の声が聴こえてくるだけで、誰の声もしない。ロンだけではなく、フレッドやジョージも、の父親の姿もない。 「ママ、ロンがどこにいるか知らない?」 ジニーがモリーおばさんに聞いた。 「ロンなら、フレッドやジョージと一緒に、のお父さんを連れて庭から出て行くところを見たわよ」 は驚いて、とっさにモリーおばさんの方を振り返った。おばさんが冗談を言っているようにしか思えなかったからだ。 「せっかくのいい天気だもの、あなたたちも一緒に遊んで来たら?」 半信半疑になりながらもがジニーを連れて丘を登ると、おばさんが言った通りの四人組が遠目に見えたので、は驚いた。アーサーおじさんは仕事でいないのに、父親一人だけで男の子たちと遊ぶだなんて、全く想像もしていなかったのだ。 四人は牧場の敷地いっぱいに広がって何かをしているようだった。父親は箒に乗れないのだから、まずクィディッチの練習ではないはずだが、少なくともロンとジョージは箒にまたがって宙に浮いていた。フレッドはクィディッチでビーターが使うバットを持っていたが、箒に乗ってはいなかった。その代わりにバットを両手で持ち、両脚を広げて地面に立ち、数メートル先に立っているの父親とにらみ合っていた。父親は右足を上げ、左手を大きく振りかぶると、フレッドに向かって真っ直ぐボールを投げた。フレッドが両腕を勢いよく振り上げると、ボールはバットに当たり空高く飛び上がったが、その先が箒で浮かんでいたジョージの方向だったため、ボールはすっぽりと手中に収められてしまった。 「アウト!」 父親が声を張り上げた。 「あーあ、なかなか上手くいかないもんだな」 フレッドががっくりと肩を落としながら言った。 「いやいや、初めてにしてはなかなか筋がいいぞ、フレッドくん。さすがはビーターをやっているだけのことはあるよ!」 そう言って父親がフレッドの肩を叩いた。にはこの状況が全く飲み込めなかった。 「どうして野球なんてやっているの?」 四人全員がこちらを振り向いた。声の主がであることがわかると、父親は興奮した声で、駆け寄りながら説明し始めた。 「魔法使いのことを色々と教えてもらったお礼にマグルのスポーツを教えようと思ってね! イギリスだしサッカーの方がいいんだろうが、サッカーボールは荷物にするとかさばるから、代わりに野球ボールとグローブを持ってきた。本当はキャッチボールだけをするつもりだったんだが、都合のいいことに、野球にちょうど良さそうなバットもこの家にはあるわけだし――」 「クィディッチ用だけどね」 ロンがつけ加えた。 「――そう。だからバッティングもみんなに教えていたんだよ。ついでに、ビーターの二人にとっては練習にもなるわけだ」 「だけどおじさん、このボールじゃブラッジャーよりずっと小さいよ」 いつの間にか地上に降り立っていたジョージが、野球ボールをまじまじと見つめながら言った。 「大きさは違っていてもいいんだよ。小さいボールを打つ練習をしておけば、大きいボールを打ち返すのが楽になる」 「なるほどね。確かに、ブラッジャーよりずっと当てるのが難しかった――まあ、ブラッジャーの場合は打ち返す方が難しいんだけど」 フレッドが言った。 「いつもは箒に乗りながらだから、地上で打つ時の構えも慣れないな。おじさん、見本を見せてくれよ」 しかし、父親は首を横に振った。 「僕も打てないことはないけど、どちらかと言うと投げる方が得意だからね……そうだ、ちょうども来てくれたことだし、に見本をやらせよう。この子は僕より上手いんだ」 「私? でも、結構久しぶりだし、打てるかわからないよ」 はたじろいだ。 「いいからやってみな」 フレッドがにかっと笑いながら、にバットを投げ渡した。ロンとジョージは再び箒に跨り、空中へと飛び上がった。 は受け取ったバットを両手でぎゅっと握りしめた。クィディッチのバットは野球のそれよりそこそこ短いながらも、同じくらいの重さをしているようだ。確かにバッティングは好きだったが、最後にバットを振るったのは一年以上も前だ。体が覚えているかどうかはわからない。父親の球は何度も打ち返しているから、少なくとも空振りの心配はないだろう。そう考えながら、両腕を胸の高さまで持ち上げ、腰を軽くかがめて構えの姿勢になった。父親が球を投げた瞬間、は球と同じ高さまで踏み込み、勢いをつけてバットを振り下ろした。カキン、と小気味良い音が響いたかと思うと、が打った球は空に浮かび、ロンの頭を越え、更に後ろに下がっているジョージの頭までも越え、弧を描いて木立の向こうまで飛んで行き、そのまま見えなくなった。 「ホームラン!」 みんなが呆然として球の消えた場所を見つめている中、父親が嬉しそうに叫んだ。 「さすがはだ! 腕はちっとも衰えてないようだね」 父親が自慢げにの肩を叩いた。横で観賞していたフレッドとジニーがに近寄り、に向かって大きな拍手をした。 「、すごくかっこよかったわ! プロの選手みたいだった!」 ジニーが言った。 「の意外な特技発見だな。君、ビーターとしてうちのチームに入れるかもしれないよ。もちろん、俺達が卒業してからの話だけど」 フレッドが言った。 「まさか、選手になりたいだなんて思ってないよ。打つのは得意だけど、それ以外は全くできないもの」 照れくさいのを隠したくて、がぶっきらぼうに言った。褒められることにあまり慣れていないのだ。 「おーい、みんなも手伝ってくれよ!」 遠くから声が聴こえ、四人は振り返った。ロンとジョージが上半身を垣根に潜らせて球探しをしているのが見えた。たちは一斉に駆け寄ってそれを手伝ったが、なかなかそれらしき白球は見つからない。が打った球は、思っていた以上に遠くに飛んで行ってしまっているようだった。ようやくボールを見つけた頃には、既に日が傾き始めていた。 しばらくの間バッティングを楽しんだあとは、みんなでの父親に案内しながら家の近所を歩いた。オッタリー・セント・キャッチポールの村に連なる住宅街や田畑に、古風な商店街。それらを見て回る間、父親の気分は浮かれっぱなしだった。父親は気が済むまで商店街をぐるぐる見て回ったあと、案内してくれたお礼にと子供たちにアイスクリーム屋でそれぞれ好きなアイスを買ってあげると言った。これにはウィーズリー兄弟も大喜びだった。 子供たちが夢中になってアイスを選んでいる間、父親はベンチで町を眺めていた。一足先にアイスを買ってきたが隣りに座ると、父親はにっこりと笑ってに声をかけた。 「ここはいいところだね。僕が今まで行ったところの中でも特に素晴らしい。あまりにも楽しくて、ここに住んでしまいたいと思うほどだよ」 「本当に住んだりしないでよね」 が言った。 「まさか! 父さんがそんな無鉄砲な人間に見えるかい?」 父親がけろっとした顔で言った。「見える」と言いたくなるのをぐっとこらえながら、はため息をついた。 「こうしていると、僕が留学した時のことを思い出すなあ。海の向こうには驚くことばかりがあって、自分の視野がどれだけ狭かったのかを思い知らされたよ。楽しいことだけじゃない、辛いこともたくさんあった……」 「お父さんでも辛いことがあったの?」 は驚いた。 「もちろんあったよ。時には日本に帰りたくなるくらいにね。日本にいたら経験できないようないいことも、悪いことも経験した。だけどみんな乗り越えたから、今ではいい思い出だよ」 「どうやって乗り越えたの? 私でもできるかな?」 が聞くと、父親は穏やかに微笑んだ。 「できないと思ってたら、お前を留学させたりなんかしてないよ」 普段はうるさいほどに元気な父親が、今まで見せたことのないその顔は、には全く想像もつかないほど遠くのどこかを見つめているように思えた。いつか大人になったら、もこんな顔をしながら昔話をする日が来るのだろうか? それから一行は村のはずれに流れている小さな川のほとりにたどり着き、みんなはようやく腰を落ちつけた。遠くに並ぶマグルの家々を見渡しながら、たちはのんびりと雑談をした。ホグワーツの一年間でどんなことがあったのかを話して聴かせると、父親は思った通りの大喜びで、興奮のあまり川に落ちそうになるほどだった。 「この辺りは普通の人たちが多いみたいだけど、君たちのところ以外に魔法使いの家はあるのかい?」 雑談の途中、不意に父親が質問した。 「多くはないけど、いるよ。この辺ならディゴリー家やフォーセット家……それから、あの丘の向こうに、ラブグッド家が住んでる」 フレッドが、村の反対側にそびえ立つ大きな丘を指差した。 「その家にも、ホグワーツの子供っているの?」 今度はが聞いた。 「ディゴリー家には俺達と同学年のハッフルパフ生がいるけど、フォーセット家やラブグッド家はよく知らないな。家に遊びに行ったりするほど、お互い近所に住んでるわけでもないから」 ジョージの言葉で、は自分がロンに会いに行った理由をようやく思い出した。 「ねえロン、私たちハリーに手紙を送らなくっちゃ!」 「あっ、そうだった!」 が声をかけると、ロンもはっとしてすっくと立ち上がった。 空は真っ赤に染まり、もうすぐ日が暮れようとしていたので、全員揃って「隠れ穴」に帰ることになった。到着するなり大急ぎで、とロンはエロールのいる鳥籠に向かった。 年寄りふくろうのエロールには二人分の手紙ですら運ぶのが辛そうに見えたが、それでもなんとか空に飛び上がって行った。よくよく考えてみると、はエロールが手紙を配達しているところを今まで見たことがなかった。よろめきながらも遠ざかって行くエロールの後ろ姿を見ていると、手紙を任せて本当によかったのかという不安が沸き起こった。 「あの子、あんなにふらふらで手紙を届けられるの?」 エロールが完全に視界から消えたあと、が聞いた。 「ちゃんとハリーに届くよ。あの調子じゃ二日はかかるだろうけど」 ロンは慣れた様子で言った。 晩御飯を食べ終わり、は部屋に戻った。することもないので一人でベッドに寝転がっていると、次第に眠気が湧きあがりうとうとし始めた。あともう少しで眠りについてしまいそうだというところで、誰かに肩を叩かれて、ははっと目を覚ました。目の前にはジニーがいた。たった今シャワーを浴びて来たばかりのようで、頬がほんのりと赤く染まっていた。 「寝る前に汗を流した方がいいわよ」 ジニーが言った。 「ああ……うん、そうする」 は起き上がって、用意していた寝巻を引っ張り出した。 「ずいぶん眠そうだったけど」 ベッドに腰を落としながら、ジニーが言った。 「ちょっと疲れちゃった。久しぶりに運動したせいかもね」 「本当は、はしゃぎすぎたからなんじゃない? いつものならお父さんといるときは不機嫌そうな顔してるのに。ひょっとして、仲直りしたの?」 ジニーが面白がっているような言い方をしたので、はむきになって言い返した。 「仲直りもなにも、喧嘩なんてしてないわ。今日はただ、久しぶりにバッティングできて楽しかっただけよ――ねぇ、その顔は何?」 は眉をひそめた。が話している間、ジニーがずっとにやにやしながら頷いているのが引っかかったからだ。 「ううん、別になんでもないわ。そんなにあのバッティングが好きなんだなって思っただけ」 ジニーが聞いた。 「昔からの趣味なの。お父さんがあんな人だから、外国の遊びを色々押し付けられてきたけど、バッティングはその中でも私が進んでやりたいと思える数少ないことだったわ。お父さんと遊ぶのも、あの時だけは楽しかったな」 「ふーん……」 ジニーは関心があるかのように目を丸くしたが、それ以上は何も言わなかった。 「お父さんといえば、いつの間にみんなと仲良くなってたのかしら? あんなに親しげに遊んでたなんて知らなかったわ」 が首をかしげると、ジニーがくすくすと楽しそうに笑った。 「別に不思議なことじゃないわ。私ものお父さんのことは好きよ。にぎやかだから、一緒にいると楽しくなるでしょ」 ジニーの言葉に、は耳を疑った。父親はうるさい人だとは思っていたが、それを好意的に見てくれる人がいることが信じられなかった。 「なんて言えばいいのかな、親しみやすいのよ。友達のお父さんっていうよりも、お兄さんって感じがするわ。ビルくらいの歳に見えるせいかもね」 ジニーは更に続けた。 「言いすぎよ。ビルのことはよく知らないけど、同じくらいに見えるなんて絶対にありえないわ」 はきっぱりと否定した。 「それに、がいつも言っているほど変な人にも思わないわ。うちにもっと変な人が住んでるせいかな? パパと比べたらみんな、まともな人に見えてくるのかも」 「アーサーおじさんはずっとずっとまともじゃない。私のお父さんは、娘の意思も無視して強引に海外に留学させるような人なのよ」 「あら、パパなんか、マグル生まれの女の子をうちにホームステイさせるような人よ」 一瞬の沈黙があり、そして二人とも同時に笑いだした。不思議なことに、これまでの悶々とした気持ちが晴れて行くようだった。 「私ね、ずっと普通のお父さんがほしいって思ってたの。自分の趣味で家族を振り回したりしないような、そういう普通のお父さん」 が言った。 「日本にいた頃、周りにいる『お父さん』はそういう人ばかりだったから、ずっと羨ましいって思ってた。けど、変なお父さんを持ってるのは私だけじゃなかったのね」 「そうよ。変人のお父さんなんて、私たちにとってはふつうのこと。私たちが友達でいるのと同じくらい、当たり前のことよ」 ジニーが悪戯っぽく言った。 |
(2012/06/23) <back|top|next> |